ふきブログ

fckey's daily impression blog

節目の年だった2018年

2018年は転職した事もあって自分にとってはとても変化の大きいの年だっので書き留めておこうと思う(あと30代になった)。サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇を読んだばかりで文体が引っ張られているかもしれない*1

新卒で入社した投資銀行にはソフトウェアエンジニアとして5年以上勤め、2018年半ばに以前から考えていたITを主軸にした会社に転職をした。新卒の就職活動中に強く興味があった会社が2つあり、片方は新卒で入り今回もう片方に移った形となり縁に恵まれていると感じる。

投資銀行、金融というと外の人からはITは外注しているのだろうとたまに言われるが、自分の居たところは一味違った。社内のほとんどのシステムを内製化しておりITが競争力のエンジンといっても過言ではない環境で、グロバールではエンジニアが約10,000人いた。エンジニアだけでこの人数いるのだから、ある意味IT企業と言ってもおかしくはないレベルの規模だろう。稼ぎは非IT部署に依存していたけど。

ここでは仕事を通してビジネスレベルでの英語、チームでのシステム開発、CI/テスト/プロジェクトマネジメントを含むSDLCなどたくさんのことを学んだ。また、100年以上の歴史を持つ会社で社員の教育にも力を入れており、キャリアデザインやマネージャのマネジメント方法といったトレーニングもあった。世間でもいろいろ騒がれる事が多い会社だが、バランスの取れたキレる人の多い会社だった。

仕事のやりとりは9割は英語で、新卒で入社した頃は旅行で英語を使う程度なら出来るし大丈夫だろうと考えていたが実際仕事となると勝手は全然違い余裕はなかった。インド、イギリスの普段聞き慣れないアクセントの英語が聞き取れないことが少なからずあり、自分の聞き漏らしがチームの損失や自身評価に関わるかもしれないと思うと一人でコールミーティング*2に出るのが億劫だった。このとき一緒にミーティングに加わりフォーローしてくれたチームメイト達には感謝している。1,2年も毎日英語を浴びて働くと早口や独特のアクセントも慣れてきたが、最初からもっと流暢な英語ができていたら新人研修で2ヶ月行ったニューヨーク、ウォールストリートで働いた*3経験ももっと楽しめただろうなと思う*4。 また英語以外にも、とにかくミーティングでは自分の意見を主張する、自分の成果は積極的に主張しないと良い仕事をしていても評価はされないという環境で、謙虚さや慎ましやかさ美徳とされる一般的な日本の文化とは違う価値観の組織であり、英語よりもむしろそちらへの対応に苦労した*5

働き方に対する意識もここではかなり影響を受けた。はじめてのプロジェクトでは、初プロジェクトにも関わらず自分一人がデベロッパー、プロマネにインド人が一人付く*6という体制で正直当初不安が大きかった。働き方の要領がわかっていなかったのもあり結局納期は押しに押し最終的に2ヶ月延び*7、時には23時過ぎまで働く事もあった。 投資銀行というと激務というイメージが強いかもしれないがそれはIBDなどのフロントの話で*8テクノロジー部では20時にもなるとデスク周りからほとんど人が居なくなった*9。当時は大学院生の頃の感覚で遅くまで働いてでも終わらせたらいいんだろうと思っていたが20時以降オフィスに残っている人は正直デキない奴かマネージャーがダメで仕事量のコントロールが出来ていないといった目で周りから見られた。そのため自身も意識改革を行い、後にも先にも20時以降会社に残るのはこのプロジェクトだけだった。 ちなみになぜテクノロジー部門は早く帰れるかというと、基本的に同じシステムをグローバルでみているため問題が長引きそうな場合には次のリージョンに引き継ぐことができるからだ。多くの場合は日本の17時頃にオフィスにやってくるロンドン*10が受け入れ先となる。そのかわり自分のプロジェクトが燃えていたら自分が責任を持って対応しなければならない。 このプロジェクト以降、自分はほぼ毎回19時には飲み会に出られるため友人の中でも本当に仕事をまじめにしているのかという事を度々茶化して言われたが、仕事に慣れたのと、期待値コントロールを覚えて長めの納期を抑えていたからであって*11窓際で仕事がなかったからではない*12

入社当初は主にSDLC周りのキャッチアップに必死で毎日家に帰った後は少なくとも3-4時間は本を読んでいた。やはり学生は一人で開発をすることが多かったためCIを設定することはなく、テストもあまり(まったく)書かずバージョン管理も自分が学生の頃はまだsvnが主流でたまに曖昧なメッセージと共に記録に残す程度の意識だったためとにかく勉強が必要だった*13。最近の学生はそうでもないかもしれない。

以下の本は当時読んだ本の一部で、古いものもあるがソフトウェアエンジニアとして今後長い人生を歩もうと思うなら今でも読む価値があると思えるもので、勉強熱心そうな新人にもオススメしていた。

デザインパターンは学生時代から触れていたが当時はその華麗さに驚いた。その他にもソフトスキルではTeam Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのかは必読だと思う。内容にとても共感でき、エンジニア上がりのマネージャーがどういう背景でものを考えるという部分は、仮に自分のマネージャはなぜ時にイケてない判断をするのかという疑問が生まれたときに手に取ると心の平穏に役立つ(かもしれない)。また、英語で仕事をするのに慣れない人には英語のお手本――そのままマネしたい「敬語」集を勧めている。普段の仕事で使っているものがそのまま本にかかれていて実用的だ。

もしここまでこのブログを読み進めた物好きな人がいて本に興味があるなら以下の記事も見てみるといいかもしれない。

社内のIT環境については、グローバルで人を厳選して集めているだけあり社内のITの水準はとても高かった。金融分野でミッションクリティカルなシステムが多いこともありbleeding-edge的なリスクは取れないためレガシーなツールやシステムも多く残っていたが、スクリプティングとDBを融合したオリジナルの言語や*14、JIRAやJenkinsとオリジナルのデプロイフレームワークを統合したSDLCのツール、その他にも数々のオリジナルのフレームワークが多々あり、とにかく社内オレオレフレームワークの多い会社だった*15ソースコードのレポジトリはチームごとにわかれていたため車輪の再開発も多く、SDLCの質もチームにより全然違い*16効率的とは言えないが、オリジナルのVCSツールで巨大なコードベースのシングルレポジトリとして管理するGoogleFacebookのような会社と比べたらより他の会社や環境でも適用しやすい一般的な形で模範的な仕組みを学べたのではないかと思う。

このように社員も技術水準もレベルが高く、ワークライフバランスも良い会社で*17働いていてどうして辞めるのかと考えるのが普通かもしれない。理由はいくつかあったが一番大きかったのが個人的には長期的なキャリアを考えるのが難しかった。 中には20年以上働いている人もいて、運が良ければ長く続けられるのだが、やはり外資投資銀行ではレイオフが付き物で数年働いただけでも大きなレイオフの波が何回かあり、またチームをまるごとインドやシンガポールに人を移動するという風潮もあった。 実のところ社員からしたらレイオフは必ずしも悪いものではなく、知る限りすべての人が次の転職先をすぐに見つけており、一定の期間働かなくてもお金が貰えることもあって冗談で早くレイオフになりたいなどと言う人も居る程度のものだ。しかしながら、転職の市況はその時々で違い、レイオフがあるタイミングで良いポジションが空いているとは限らないため*18自分はそのコントロール出来ない部分が好きではなかった。 また、社内独自フレームワークにどっぷり浸かってしまっていた場合には外部からの評価にも不安がある*19。 さらに、入った年次やチームの割当によって昇給や昇進の容易さが違いあからさまに違い、2000年台前半に入社してリーマンショックを乗り切った人たちの中には凄い待遇の人も居たが、自分の考えでは今後業界全体的に成長は見込めず*20、本社レベルも含めて組織に疑問を抱くことが多くなった事が大きい。 それ以外の部分では、結局投資銀行では結局IBDやトレーダー、セールスなどのフロントと呼ばれる人たちが稼いでおり、給料もパワーバランスも彼らが断然上であったため、どうせエンジニアとして第一線で働くのならエンジニアが表立って活躍している企業に行きたいと思ったのもあった*21

現在は転職して数ヶ月経ったが、今の所新しい環境には満足している。 誤解無きよう一言付け加えるが、前職は今でも最高な職場の一つだと今でも思う。新しめのシリコンバレーの会社はマネジメントを控えめにしていたり、社員のリテンションのため過剰に社員の自由を許すところがある。今後職場を変えないとは限らない*22事を考えると、前職は一般的な組織形態をより洗練され合理的な形で運営をしており*23、それを間近で見られたのは貴重な経験だと思うし、今の時代にもう一度就活をするとしても新卒では前職にまずは入りたい感じるほど学んだことが多かった。

今後30代を突き進むにあたり5年後10年後自分が何をしているのか正直なところ読めないが*24、数年は今のポジションで勉強をし、アウトプットの質も高めていきたいと感じる次第だ。

*1:GSを辞め起業した後にFBで働いた人の自伝小説。とても面白い

*2:IP電話をヘッドセットを利用して行うが音質がとても悪い

*3:正確には住所はウォールストリートではないらしい

*4:研修中はお金をもらった人生の夏休みという感じで毎週末ボストン、ワシントンDC、ナイアガラといった主要都市に旅行をした。最近は不景気で2週間まで短縮されたらしく不憫である

*5:私生活でも自己主張が強くなった気がする

*6:イギリスアクセントのしゃれた話し方をしめちゃくちゃ頭の回転が速い。このあとよく一緒に組むようになった

*7:言い訳をするわけではないが唯一UAT環境構築方法を知っているプロマネがUAT直前に2週間のハネムーンを取ったのにはビビった。休みやすいいい会社である

*8:最近は働き方改革でマシにはなっているらしい(表向きは

*9:ロンドン、ニューヨークを相手にするため夜のコールは多く家から働く人は居た

*10:冬は1時間遅い

*11:意外なことに納期の設定は驚くほど緩く、社内プロジェクトのためと思われる。規制当局の案件は結構タイトスケジュールのものが多い

*12:少なくとも自分はそう信じている

*13:社内のVCSツールは2018年で未だにsvnだった

*14:うまくグーグル検索すると情報が出てくる

*15:当時はこんなもの社外で使えないじゃないかと嫌っていた

*16:チームによってはテストカバレッジ90%を着るとビルドが壊れるが、また別のチームは全くカバレッジを見ていないこともある

*17:更に言うと一般的なIT企業よりも給与水準も高い

*18:そもそも大規模レイオフがあるときは市況はだいたい悪い

*19:実際のところ新しい言語やフレームワークもすぐに習得する人が多いためあまり問題ではないと思う

*20:入社以来毎年"昨年は業績が良くなかったためボーナスはこれだけ"というコメントを聞いていた

*21:転職したからといって彼らの給料を越せるわけではないが

*22:自分で作れたら最高だけど

*23:そのため必ずしも社員に優しいとは限らない

*24:実は前職の頃にも一度起業を考えYCombinatorに応募したことがあるが採択されず、技術的にも難しかったため断念した